BLUE BLUE


広島観光タクシー BLUEBLUEは、宮島、岩国 錦帯橋、広島 原爆ドーム、広島 平和公園、広島城を観光案内する、広島観光タクシーです。
広島観光タクシー BLUEBLUEは、広島県 広島市から出発して、角島、萩、出雲、松江、山陰を観光案内している、広島観光タクシーです。

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出雲観光

出雲大社
出雲大社
出雲大社
出雲 旧大社駅
出雲大社(いずもおおやしろ)は島根県出雲市にある神社です。
式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、
1871年(明治4年)に出雲大社と改称しました。
正式名称は「いずもおおやしろ」
(歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」)であるが、
一般には主に「いずもたいしゃ」と読まれます。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。
明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社でありました。
創建以来、
天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。
現在の宮司は84代国造千家尊祐で、
國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、
2002年(平成14年)
宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特急を拝受しています。
また、宮司の制服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく
黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり
他に類を見ません。
現在も皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。
約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、
神体が仮殿に遷御された後に、
本殿の内部及び大屋根が公開されることがあります。
広島観光タクシー BLUEBLUEの、イチオシの出雲そばの店は、
旧大社駅の前にある『大梶』です。



出雲 日御碕
出雲 日御碕
出雲 日御碕
出雲 稲佐の浜
広島観光タクシー BLUEBLUEの、THE・日本海と言えば、
何と言っても日御碕から見下ろす日本海です。
日御碕(ひのみさき)は、島根県出雲市大社町日御碕に位置し、
島根半島のほぼ西端で日本海に面する岬です。
北緯35度26分06秒東経132度37分44秒
大山隠岐国立公園に含まれます。
流紋岩から構成される山が沈降して海に浸かり、
波に浸食された後にわずかに降起し
「海食台」とよばれる地形が形成されました。
周辺にはサドガセとボングイと呼ばれる岩があり、人工的に彫られた階段や参道、
祭祀跡が確認されています。
これは、沖縄県の南城市にある世界遺産斎場御嶽ににており、
天照大神の神話によく似た神話が斎場御嶽に伝わっています。
岬上には1903年(明治36年)初点灯の出雲日御碕灯台が立ちます。
海抜43.65mと石作りの灯台としては日本一の高さです。
参観灯台なので見学も可能です。
日御碕駐車場近くには商店街がり、いか焼き、
ソフトクリームなどの飲食店や土産店があります。
季節にもよるが、天日干しのカレイやノドグロなどの干物も打っています。
「日御碕の大ソテツ」及び南方に浮かぶ経島の「経島ウミネコ繁殖地」は
国の天然記念物となっています。



松江城
松江城
松江城
松江 興雲閣
松江城(まつえじょう)は島根県松江市殿町にある日本の城跡。
別名・千鳥城。現存天守は国宝に、城跡は国の史跡に指定されています。
この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれています。
平山城で江戸時代には松江藩の藩庁として、
出雲地方の政治経済の中心となったが、
明治時代初頭に廃城令によって存城処分(陸軍省所管)となったため、
天守以外の建物はすべて払い下げられ撤去されました。
城跡は現在、松江城山公園として利用され、また、
江戸時代初期建造の天守を有する城跡であり、
天守は山陰地方の現存例としては唯一であります。
天守からは宍道湖を眺望でします。
江戸時代まで遡り城郭建築の雛型が残っています。
天守内部には松江市街のミニチュア模型が展示されています。
現在は指定管理者制度に則り、
特定非常利活動法人松江ツーリズム研究会が運営をしています。
広島観光タクシー BLUEBLUEでは、
遊覧船での堀川めぐりもオススメしております。



松江 嫁ヶ島
松江 嫁ヶ島
松江 宍道湖
松江 宍道湖
広島観光タクシー BLUEBLUEの、イチオシの夕日スポットです。
嫁ヶ島(よめがしま)は、
島根県松江市嫁島町の西約200mに位置する宍道湖唯一の島です。
全長110メートル、幅約30メートル、周囲240メートル。
約1200万年前に噴出した玄武岩の溶岩から成る。無人島。
島には弁財天を祀る竹生島神社の祠(1611年に堀尾忠晴が祭った)と
鳥居(1907年に琵琶湖疎水設計者の田辺朔朗が寄進)があり、
周囲には松が植わっている。
1935年に松江出身の若槻礼次郎が数本の松しかなかった島に
20本の松の苗を植樹しました。消波ブロックとして、
如泥石(松江藩の名工・小林如泥が考案したとされる円柱形の来待石)で
島の周囲が固めれれています。島の名は伝説(嫁ヶ島伝説)によるが、
この伝説には姑にいじめられた嫁が湖で水死した際に
水神が浮き上がらせたとする伝説などいくつかの悲しい伝説が残されています。
『出雲国風土記』意宇郡条においては、「蚊島」と表記されています。
当時は周囲が約110mと今の半分ほどの大きさで、
島の中央には径7~8cmばかりの木が一本生え、
磯には貝や海草が見られたとあります。
湖岸には島に向かって2体の地蔵(袖師地蔵と石灰地蔵)が立っています。
夕日スポットとして知られており、1951年に宍道湖十景に選定されています。
「日本夕日100選」にも登録されています。
松江水郷祭湖上花火大会の際には島近くの台船から花火の打ち上げが行われます。
年に数回、湖岸から張られたロープを伝って島まで渡るイベント
「嫁ヶ島に歩いて渡ろう」が開かれます。
湖岸から島まで220m程度しか離れていないうえ
水深も最大130-140cmと浅く、子供も多く参加します。
島に続く東側の湖底には、周囲より少し高くなった水中参道があるが、
江戸時代初期までは対岸の袖師に連続した玄武岩の岬があり、
松江城建造に伴う石材として掘削され岬がなくなったと伝えられていることから、
玄武岩の掘削跡による浅瀬である可能性もあります。
松江城創建者の堀尾吉春が天守閣からの眺めに感動して嫁ヶ島を
「湖中の一勝地なり」と評したのをはじめ、
水郷松江のシンボルとして文豪・小泉八雲をはじめ
多くの人々に愛されてきました。松江市都市計画部都市景観課職員によると、
松江城から嫁ヶ島を眺める線上には
高い建物を建ててはならないという不分律があるといいます。
2007年(平成19年)には松江市景観条例が制定されています。
大正初期に如泥石が防波堤として置かれた祭には恒藤教が新聞上で
「この湖の礼儀にかなわぬ無作法漢」、
「4、5本の松が小さな祠を護り、
白い砂浜のはてに青葦が波に揺れるさまこそ趣があった」と批判。
芥川龍之介も「松江印象記」のなかで宍道湖の美しい景観を壊すものとして
如泥石の防波堤を批判した。
作家の丸谷才一も嫁ヶ島超しに見る宍道湖の落日美を
「純粋に審美的な風景美」を評し、山崎正和も国内でも稀な
「眺めるためにだけある島」であることを指摘し、
吉田兼好の言葉を借りて
「田舎の人はそばに行って手で触ったり足で踏んだりしないと納得しないが、
その意味において都会的センスのある島」を述べ、
丸谷、山崎両者ともに松江が洗練された趣味の町である証しとして、
人があまり近づかなかった当時の嫁ヶ島の在り方を高く評価しました。
宍道湖観光遊覧船の「はくちょう」の遊覧コースとなっています。
広島観光タクシー BLUEBLUEでは、
宍道湖一周観光コースもオススメしております。



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